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わたしは、物心ついた頃から水泳を習っていた。
(結構小学校まで習ってたって人多いよね。)

そして、小学4年生になった頃、『選手コース』なるものに入らないか?と言われた。
別に特別級が上がるのが早かったわけでもなかったと思う。
理由は、ただ同じ小学校ですでに選手コースで活躍していた先輩のお父さんと母がPTA関連で仲が良く、スポ根大好きな母がその人に影響されたから。ただそれだけだ。
わたしの気持ちは、全く考慮されなかった。
形ばかり、「入りたい?」と聞かれた気がするが、その時は母が期待してくれていると思ったのか、「うん。」と答えてしまい、ついに選手コースでの練習が始まる日が近づいてきて、「やっぱり辞めたい。」というと、「なに今更言ってんの。」と一掃された。
ここから、地獄の10年間が始まった。
練習は基本、
月•火•木•金:18:45〜20:30の1時間45分
土曜日:7:00〜9:00の2時間
夏休み•冬休み•春休みには、それぞれ1週間ずつ泊り込みの合宿があり、朝練•昼練•夜練がある。
各休みに入ってからも、合宿が終わるまで休みの気分になれなかった。
一番辛かったのは、大好きなおばあちゃんと温泉宿に泊まっていても、わたしだけ合宿があるからと途中で抜けなければならなかったことだ。
そんな生活をしているから、学校では流行りのテレビ番組の話題についていけない。

小学生の時には、わたしの様子がおかしいのを察してくれた担任と保健室の先生が母に話をしてくれたが、いつも自分は正しいと思っている母には先生たちの話しは1ミリも響かなかったようだ。
(担任と保健の先生には、とても感謝しています。)
家の中の重いものにしがみついてもひっぺがされて連れて行かれた。

一生懸命泳いでいるだけなのに、コーチからはビート板でぶっ叩かれた。

不条理と辛さで、泣きながら泳いだ。

中学生に上がる時、勇気を振り絞って母に「吹奏楽部に入りたい」と言った。
(音楽が好きだったから。)

この3年間頑張ってみなさい」
高校に上がるとき、「中学3年間頑張ったんだから辞めてもいいでしょ?」と聞いてみた。

大会に出ても、やりたくてやってる訳じゃないからすごい記録が出ることもない。
(ただ、田舎だったので中体連•高体連はいつもギリギリ東北大会出場まで行った。)
こうして、わたしの小中高の10年間は母の自己満のために搾取されて終わった。

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